今井兼續は彦右衞門と稱し、後喜右衞門に改めた。(今井氏七石碑銘幷系圖)兼隆の男、十六歳家を繼ぎ、伊達政宗の取なしによつて所役を復せられた。【正宗に倚り所役を復す】然し承應二年には上府して伊達政宗に千石の領地を返還した。之は政宗より與へられたところのものであつた。【造營奉行】兼續は又幕命により、慶安二年一條關白家の殿宇新造、承應三年攝津住吉宮の造營奉行を命ぜられて功を遂げ、萬治三年より寬文七年に至る八年間、京都大佛殿の佛像改作、堂宇の修補を掌り、其間亦蓮華王院修造の任に當つた。【臨光菴創剏】又南宗寺内に臨光菴を創立し、清巖宗渭を請して開祖とし、承應三年同菴に於て、武野紹鷗の一百年忌を修した。寬文六年九月十一日行年四十五歳を以て歿した。(今井家記)【墓所】法號を臨光菴月岫宗白居士といひ、臨光菴に葬つた。(桃青寺過去帳)同菴に其墓碑がある。