【長谷川藤廣の臣】風間六右衞門尉、名は道喜、長谷川藤廣の家臣である。【家系】其祖信越兩國の太守風間信濃守信昭は日蓮の高足日昭の俗弟子で、德治元年高祖日蓮二十五囘忌に當り、報恩の爲めに那瀨に妙法寺を建立し、日昭を請して開山の祖とした。元亨三年日昭遺命して、北陸の日宗興隆に力めしめた。信昭は遺命を奉じて越後三島郡村田鄕(現島田村村田)に法王山妙法寺を創立した。【日蓮宗の信徒】六右衞門尉其後裔として血管には熱烈なる祖先宣教の信念が流れて居た。【堺市街復興の衝に當る】【引責自刄】元和の兵燹後、藤廣の命を受けて、堺街衢復舊整理の任に當り、祖先の遺志を承け、日蓮宗門に屬する寺地を廣く分割し幕吏として其措置頗る當を失するの批難を受け、自ら責を負ふて街北の松林中に自刄した。享年四十七歳、やがて其首級は北の端に梟せられた。(風間堂緣起)【風間堂】今自刄の址(現並松町)に一小堂を建てゝ風間堂と稱せられ、同堂の古位牌に、中央に不惜身命院殿道喜日妙大居士、左右には元和四戊午八月十有五日と銘刻せられて居る。【墓碑の所在】又柳之町東二丁月藏寺に墓碑があるが、享和元年版難波丸綱目に、北の端松林中にも其墓のあることを記して居るのを見ると、後年同寺に移されたものであらう。(風間堂記錄)