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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(三四)渡邊正雄
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渡邊正雄
は五郞右衞門と稱し、致仕して白鷗と號した。
堺奉行所
の與力
渡邊玉山
の季子、石田氏に子養された。【資性】資性謹直、忠孝士林の基を忽にせず、常に側に弓劒を離さず、手に書卷を藉かず、誠に古武士の風があつた。文政四年二月二十三日端坐して瞑した。享壽八十九。【墓所】自ら落齒若干を小甕中に納め、遺命して
南宗寺
本源院
先考玉山の墓次に斂めしめた。(墓誌)