【家系】柳居諱は良材、字は伯方、柳廬の長男、作之右衞門と稱した。【人と爲り】人となり音吐清亮、少うして父職を襲ぎ、謹愼清廉獄を理すること公平、當時循吏の稱があつた。【理獄公正】公務の餘暇文武を勵んで、在職數十年の間未だ嘗て惰容を見はしたことがなく、老齡致仕の後も讀書を以て唯一の樂みとした。【國史、國文を硏鑽す】嘗て漢學者は世其人に乏しからざるを以て爾來國學を修めんと、是より專ら國史を硏鑽した。【陵墓圖考の著】是より先き蒲生君平山陵志を著して世に行はるゝを見、未だ盡さゞる所あるを知り、補修せんと欲し、切りに古陵を繹ね、地理を審にし、之を書史に考證して發明し、遂に陵墓圖考を著した。讀む者皆記述の精覈なるに感じた。又國風を善くし、性酒を嗜まなかつたが、客あれば必ず整へて歡を盡した。人の短を言ふ者を戒しめ、長所を擧げて庇護した。【墓所】天保十四年七月四日疾を以て歿した。享年六十六歳。堺遍照寺(現櫛屋町東四丁)先塋の次に葬り、(上條柳居墓碣銘、小山堂文鈔)奧野小山其墓碑銘を撰んだ。