ビューア該当ページ
目次
/
第一編 人物誌
/
第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(四四)日善
209 ~ 209 / 897ページ
【書道の名手】
日善
は
佛行院
と號し、永祿元年生誕、學業精緻を極め、書道に達し、殊に草隸を能くした。【
妙國寺
四世】曾て若狹の妙興寺に住したが、後
妙國寺
の第四世となつた。同寺は元和の兵燹に罹り、堂宇烏有に歸したが、
德川家康
吉例の寺と稱し、其二子義直、賴宣を携へて焚煬の地に入つたのは、【宗義の論難】
日善
在住の際であつたと傳へられてゐる。一時堺
經王寺
の久成院、草木成佛義を唱ふるに當り、難問二十一條を擧げて論陣を張り、遂に之を屈服させた。元和四年五月朔日世壽六十一歳を以て遷化した。(佛心歷代師承傳)