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(六九)日演

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 【勸修寺家の一族】日演字は良住、通玄院と號した。京都の人、勸修寺家の一族である。早く頂妙寺日瑞について得度し、六條談林に入つて内典を學び、晚年中正院日護に從ひ、本化の奧旨を受けた。【唯識論講說】一時堺の常住寺(成就寺)に唯識論を講述し、諸宗の學徒多く其益を受けた。後若狹長源寺の住職となり、又慶安二年紀州侯に聘せられて、妹脊山に住した。明曆三年權律師に任ぜられ、延寶六年五月六日病を以て示寂した、享年六十七。日演一生の讀誦四千八百部、要品四千五百遍と稱せられ、著書に止觀輔行略記、高祖遺書解がある。【著書】深草の日政とは道交頗る深かつた。(本化別頭佛祖統記)