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(七二)覺印義諦

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 義諦字は覺印、聖僕と號した。法を天倫宗忽に嗣いだ。【天倫和尚の俗弟】卽ち天倫の俗弟で、法弟大心義統の舅である。(大心和尚墓記)黃檗に參學すること多年、京都の市街に乞食した。天倫座視するに忍びず、之を紫野に招いて詩文の友とし、終に法衣及び正脈圖を嗣がしめた。(天倫和尚語錄)【佛在菴創建】義諦後堺不盡菴(後の禪樂寺)内に佛在菴を建てゝ之に住した。(龍寶山祖師傅五)【禪樂寺二世】卽ち禪樂寺第二世である。(增補正燈世譜)【著書】天澤東胤錄、禪籍志、佛在文集等の著を殘してゐる。義諦深く自ら踏晦して、大いに其技倆を試むるの機なく、終に出世せずして德禪位を以て終り、(龍寶山祖師傳五)元祿二年示寂した。(大心和尚墓記)【辭偈】辭世の偈あり、曰く、「生亦好生、滅亦好滅、掘地七、埋却明月。」と。(天倫和尚語錄)