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(七三)傳心宗的

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 宗的字は傳心、蘇嚕子と號した。堺の人。【大德寺住職】翠巖宗珉に嗣法し、(龍寶山大德禪寺世譜)寬文十三年正月大德寺の第二百十五世となり、二月開堂した。儉約制法入寺の嚆矢である。(紫巖譜略、寶山住持世記上)【南宗寺二十六世】又南宗寺の第二十六世、(南宗寺歷世年譜)寸松菴の三世で、本山に慈眼菴、肥前平戸に是興寺、西江菴等を創建した。(龍寶山大德禪寺世譜)【祥雲寺住職】【禪師號勅賜】延寶二年九月萬松山東海寺の輪番職となり、(紫巖譜略)元祿二年祥雲寺に入り、(祥雲寺略記)同七年二月東山天皇より、特に佛智無碍禪師の號を忝うした。同十年正月三日慈眼菴に於て示寂、世壽七十四であつた。(紫巖譜略、龍寶山大德禪寺世譜)【辭偈】遺偈にいふ「七十四年、逆行端的、底漸耳低、聲々々々」と。(紫巖譜略)