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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(八四)日啓
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日啓字は辯通、
智覺院
と號した。【堺の人】堺に生れ、
妙國寺
の九代
日秀
の法弟で、幼時關東の中村談林に學び、玄義を講じ、六條談林の講主となつた。後京都の
頂妙寺
に遷り、
正中山
中山寺
の輪番に轉じ、又中村の講主となり、【
妙顯寺
二十三世】終に
妙顯寺
第二十三代に上り、晚年洛北に隱栖した。享保十三年四月晦日題目を唱へながら示化した。世壽七十二。(本化別頭佛祖統記)