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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(九二)藍谷義田
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【堺人】義田、字は藍谷、堺の人。(寶山住持世記上、紫巖譜略其他には泉州の人に作る)【
大徳寺
住職】【再住】法を
練了宗精
に嗣ぎ、寬保二年正月
大德寺
第三百四十二世となり、翌三年四月再住開堂した。(寶山住持世記下、龍寶山大德禪寺世譜)【
南宗寺
兼
禪樂寺
住職】
南宗寺
の第七十七世で、(
南宗寺
歷世年譜)本山
清源菴
の第四世となり、
禪樂寺
の住職を兼ねた。寶曆六年五月七日を以て示寂した。世齡六十四。(龍寶山大德禪寺世譜、寶山住持世記下)