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(二二二)里見東白

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 【堺の茶人】里見東白は堺里見氏の第四世で、(里見家過去帳)鷄鳴庵と號し、趙陶齋と相來往し、頗る親交があつた。今里見家に陶齋から東白に贈つた、贈鷄鳴庵主東白翁と題する書幅を所藏して居る。【篆刻を能くす】東白茶湯を嗜み、篆刻に長じた。(里見東白墓碑銘)【墓所】安永九年五月二十九日享年六十六歳を以て歿し、(里見家過去帳)興覺寺(現堺市櫛屋町東四丁)に葬つた。其墓碑を茶臼函に象どつてゐるのは平常茶湯を好んだからである。(里見東白墓碑銘)【印譜】著書の中弄銕技淵は印譜を集成したもので、延享三年仲冬高志羪浩の序文がある。(弄銕技淵