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(二八七)柳 彌助

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 【堺の木彫師】柳彌助は堺の人、現市之町西四丁一光庵の附近に住んだ。(眞木甚之輔氏談話)或は宿屋町東六間筋に居住したとも云はれて居る。(佐野安兵衞氏聞書)木彫の名手として知られた。其法木彫の素地に彩色し、又顏面は木彫で、之に衣裝を着けた、ぜんまい仕掛の人形をも作つた。(友淵楠麿氏報告)【機人形の興行】彌助は此人形を以て、堺を始め大阪等に興行し、曾て某寺開帳の際、玄宗皇帝舞樂戲と題する、からくり人形を興行したこともあつた。(柳彌助興行廣告)傳へいふ、【逸話】彌助は性酒を嗜み、每に其子女に德利を持たせて、向側の海部屋甚兵衞方へ、酒を買ひに遣つた。德利に酒が充たぬと、歸られぬやうに、仕掛があつたといふことである。(友淵楠麿、眞木甚之輔氏談話)【作品】其代表作として開口神社所藏神馬の屛障がある。又菅原神社の繪馬堂には、北仲組米屋仲間から奉納した、木彫の牛の扁額が揭げられて居り、額椽には「文政六癸未彀、辰墓秋吉烏、細工師柳彌助信亮」と記されて居る。

第七十九圖版 柳彌助細工人形引札