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(二九七)惠藤源左衞門

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 【横笛の名手】惠藤源左衞門は橫笛の名手で、【矢藏下町に住す】堺北莊矢藏下町(熊野町東二丁と同三丁との境)に住み、【中村一噌の門人】中村備中入道一噌の笛の弟子であつた。其頃天神常樂寺の塔頭成就坊の什寶を請受け、一噌の教を受け、之を京都の指由に直させて、亂舞の笛に用ひた。後常樂寺の能會に際し此笛を吹奏したが、【名笛瓦落の來由】妙音金堂に響いて、軒の瓦が落ち近衞公は爲めに笛の記を作つて、銘を瓦落と號づけられたと傳へてゐる。【門弟藤田清兵衞】此名管後弟子藤田清兵衞の手に移り、清兵衞其技を以て尾張侯義直に仕へた。(堺鑑下、攝群陽談卷第十、全堺詳志卷之下)