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第一編 人物誌
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第四章 整頓期(明治維新以後)
(二八)淺尾弘昌
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淺尾弘昌
字は臧卿、元英と稱し、綠岡と號した。【河内山城村の人】河内山城村の人、壽次平の第二子である。年十三歳醫學に志し、紀州西野山村に赴き、【醫を華岡隨賢に學ぶ】姊夫華岡隨賢に學んだ。安政三年去つて、【堺に移住す】業を堺に開いた。【
堺縣
醫學學に奉職す】明治七年
堺縣
醫學校に奉職し、翌八年に至つた。爾來家居三年、家道を男昌嗣に委ね、點茶を以て自ら娯んだ。十九年六月五日五十八歳を以て歿し、【墓所】遺命によつて
南宗寺
の塋域に葬つた。蓋し茶宗
利休
墓跡の存するが爲めであらう。(墓誌)