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(三四)〓 圓意○景村

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 〓圓意諱は景村、幼名は佑次郞、青霞と號し、退隱して宗閑と稱した。【河野進齋の二男】河野進齋の二男で、出でて寺地町西二丁字紺屋町なる〓圓意の後を繼ぎ、名を圓意と改めた。【資性】資性溫順恭謙、幼より學を好み、又醫を大阪なる姉夫、和田道に學び、後歸鄕して開業した。【儒名醫者を凌ぐ】併し世人は醫術の精妙なるを知らず却つて儒學に秀でたるを稱讚して、教を請ふものが頗る多かつた。古家魯山の如きも亦其一人である。【餘技】圓意詩書を能くし、又和歌に通じ、茶湯をもよくした。(河野氏家譜)全生涯中、三十六歳より七十四歳の老境に至るまで、【町年寄役乙名役】町年寄役或は乙名役等を勤め、自治行政に貢獻すること多く、晚年疾に罹り、強て退役した。官卽ち多年の功勞を賞して、銀若干を下賜した。(〓氏文書)明治十年九月十日享年七十九歳を以て歿した。【墓所】南旅籠町東三丁妙光寺内、配淺野氏の塋域に葬つた。墓誌は嗣子景佳の識すところである。(〓宗閑墓誌)