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(五)廢地賢寺

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 【位堆】地賢寺址は戎之町東四丁字禪通寺筋にあり、智禪寺西向寺との間に介在して居つた。天台宗眞盛派西教寺末で、【中興】天正十六年眞燈之を中興した。境内百五十六坪を有したが、(社寺明細帳)荒廢して寺地は熊野町東二丁山田庄平氏の有に歸した。【墓碑の發掘】其際多數の五輪塔發掘せられ、永祿以降文祿、慶長、元和、寬永に至る紀年のあるもの、三十八基を數へた。(堺市史蹟志料)