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(七)東光寺

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 東光寺瑠璃山と號し、【位置】宿院町西二丁字五貫屋筋にあり、眞言宗御室派仁和寺末、寺格三等格院、【開基】傳寬平七年化翁道者の開基である。(堺南北寺庵本末開基宗旨改帳、堺鑑中)始め化翁海中に、日夜光明の出現するを見、網を投じて藥師如來の尊像を獲、堂宇を創建して之を安置した、【本尊】卽ち當寺の本尊であると云はれてゐる。故に世人は之を濱の藥師と呼び、每年六月五日より八日に至る間大護摩會を修した。(堺鑑中、和泉名所圖會卷之二)【堂宇】本堂、庫裡、客室、門及び、毘沙門堂、地藏堂がある。(社寺明細帳)【多聞天像の來由】毘沙門堂安置の丈六多聞天は松永久秀志貴城沒落の際、遺臣之を當寺に移して奉祀するところと傳へてゐる。(東光寺調査書)東門には梟鳥、猛虎、竹林七賢、風鳥等の彫刻あり、左甚五郞の作と稱し取外して毘沙門堂に置いてゐる。同堂にも亦獅子頭等の彫刻がある。境内三百九十坪、(社寺明細帳)當寺には阿波の人蜂須賀藏人の靈牌あり、佛具、調度品等に家紋萬字を附し特殊の關係があるやうである。【墓碑】墓地には蜂須賀氏一族、及び俳人一林舍李窓の墓碑がある。