千藏院は雨寶山と號し、【位置】熊野町東五丁字寺町にあり、眞言宗高野派金剛峰寺末、寺格は三等格院。【沿革】傳へいふ大同元年僧空海唐より歸朝し、翌年入京の途、堺浦着船に際し、衆庶駐錫を乞ふたので空海結緣の爲、自影を彫刻して當所を去つた。卽ち九間四面の殿堂を創建して、【本尊】影像を安置し、爾來空海高野より上京の途次、こゝに宿泊した。世俗其舊址を九間町と呼んだ、後兵火に罹り、本尊一軀を殘すのみとなつたが、寬文四年重慶法印寺を今の地に開創の際、尊像を此處に遷した。然し寶永七年故あつて之を高野山蓮華三昧院に遷座し、延享五年に至り復當寺に歸還した。(千藏院本尊大師記)【堂宇】本堂、庫裏、客殿を具へ、境内百二十二坪、(社寺明細帳)【什寶】什寶に傳空海筆愛染明王畫像一幅、十一面千手觀世音菩薩木像一軀、三部祕經一部、近衞信尹書翰一幅、千藏院大師記一卷等がある。