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(二九)超善寺

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 超善寺法界山泉勝院と號し、【位置】熊野町東六丁字禪通寺筋にあり、淨土宗知恩院末、寺格能分八等。【沿革】天正年中住蓮社存譽貞公の開創である。(社寺明細帳)大阪夏ノ陣中興專譽師弟相携へて大和に奔り、塔頭長泉庵の開基淨專は本尊阿彌陀如來を脊負ひ、末寺河内大ヶ塚村善性寺に遁れた。既にして專譽歸還し、寺地を現在の地に請ふて之を再興した。(泉州堺法界山泉勝院超善寺方丈安置佛幷井之銘、無量水之緣起)寶永元年の記錄には尚寺家長泉庵の名が見えて居る。(堺南北寺院塔頭之諸出家印鑑帳)【本尊】本尊阿彌陀如來は傳惠心作で、【堂舍】本堂、庫裏、方丈、鐘樓、門番所あり、其他猶地藏堂(本尊裾取地藏菩薩)及び辨天堂がある。【舊方丈】庫裏及び方丈は大正八年十二月燒失し、同十四年二月新築されたものである。方丈は舊伏見桃山城の一部を移したものとの傳へがあつた。境域千百六十七坪を有し、(社寺明細帳)【名泉】境内に超善寺井と呼ばれてゐる清泉がある。(全堺詳志卷之下、泉州志卷之二)【什寶】什寶に傳善導大師筆阿彌陀如來畫像一幅、傳法然上人自畫像一幅、同空蟬の名號一幅、傳空海所持松蟲の鈴、傳法然上人所持の扣鐘等、【墓碑】墓地に儒醫梧樓河合五郞左衞門等の墓碑がある。