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(四一)善長寺

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 善長寺將軍山と號し、【位置】神明町東二丁字寺町にあり、淨土宗粟生光明寺末であつたが、後知恩院末に屬した。寺格准能分一等。【沿革】三好政勝、父宗三の菩提所として創建したもので、天文十八年六月二十四日宗三戰死の日を以て開基の日と定め、粟生光明寺の顯空を請して開山とした。(善長寺緣起)【本尊】本尊阿彌陀如來、【堂宇】本堂、庫裏及び門外に觀音堂あり、境内二百三十三坪を有してゐる。(社寺明細帳)【松の觀音】觀音堂には宗三感得の十一面觀世音菩薩を安置し之を松の觀音と稱した。永正十三年八月十三日宗三戰陣を堺に布き、網道場に宿泊した際感得したものと稱せられ、之を微笑觀音と稱し、其遺址に一宇を建立して夜光堂と稱した。天文九年三月堂宇を創立して像を遷し、莊嚴なる供養を行ふた。(善長寺緣起)