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(一三)超元寺

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 超元寺は俗に二階堂と呼び、【位置】神明町東二丁字寺町にあり、眞宗本派本願寺末、寺格飛檐。【沿革】攝津住吉郡大豆塚村(現大阪府泉北郡五箇莊村大字大豆塚)の住人塚本西川といふ者、眞言宗を奉じて廻國の途に上り、越後柿崎に於て、本願寺蓮如に歸し、法弟となり、了西と改め、歸鄕の後了西庵を創立して之に住した。三世了閑は顯如に從ひ、石山籠城の際には米錢を納れ、又鷺森にも隨從した。五世了慶に至り、了西庵を堺北庄に移して超元寺と稱した。(超元寺由緖書)【本尊】本尊阿彌陀如來。【堂宇】堂宇は本堂のみで、境内四十七坪を有つてゐる。(社寺明細帳)