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(一七)萬福寺

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 萬福寺法林山と號し、【位置】九間町東二丁字寺町にあり、眞宗本派本願寺末、寺格上座一等。【沿革】源賴義の五男親清の後裔、河野四郞通信の曾孫通正、弘安六年興正寺の釋了海に從ひ、公文坊賢海と稱し萬福寺を創立した。爾來世襲して興正寺の別院格であつたが、明治八年六月興正寺獨立に際し本願寺の所屬となつた。(社寺明細帳)【本尊】本尊阿彌陀如來は當寺の第十世正哲、檀越辰己屋久左衞門及び海船町の漁夫十貫長左衞門等が、寬永五年三月靈夢感得のものと傳へてゐる。(萬福寺調査書)【堂宇】本堂、庫裏、客殿、表門あり、境内二百三十六坪餘。(社寺明細帳)【墓碑】墓地に八木榮次郞の墓がある。