ビューア該当ページ

(二七)常通寺

659 ~ 660 / 897ページ
 常通寺龍泉山と號し、俗に今市御堂と呼ばれ、【位置】寺地町西三丁字紺屋町にあり、眞宗大谷派本願寺末、寺格別格由緖地、【沿革】創立歳次不詳、遠隆院祐心(久我通親の庶子常通なりと云ふ)一寺を創建して常通寺と號した。(堺大觀、諸寺院明細帳)第六世超藏院祐悅(北畠左衞門尉顯條なりと云ふ)當寺に入り、明應五年寺地を今市町(現宿院町西一丁)に移した。(堺大觀)第十世賢乘在住の際元和の兵火に罹り、寬永元年本堂を再興した。明治三十八年更に之を再建し、同四十四年庫裏、玄關等を改築した。【堂宇】外に鼓樓、鐘樓、門を具へ、【本尊】本尊阿彌陀如來、境内は二百五十六坪餘である。(社寺明細帳)【什寶】什寶に一休自畫自贊一幅、面壁達磨の繪一幅等がある。