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(三八)西然寺

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 西然寺深廣山と號し、【位置】車之町東四丁字寺町にあり、眞宗大谷派本願寺末、寺格別助音地。【沿革】明應三年善海律師の開創に係り、眞言宗に屬して羅漢院と號したが(寺院覺書、堺史料類纂)竺雲に至り本願寺教如に歸し、天正八年教如大阪退去の際には、竺雲最勝寺第四世道了と共に供奉して堺に來り、川端町深廣寺に入らしめた。(最勝寺由緖略記)其後教如坊舍を堺に營むに及び、慶長七年六月羅漢院を深廣寺御坊へ寄附した。卽ち東本願寺別院の起原である。其際別に今の地を附與せられ、寺號を西然寺と稱した。(堺史料類纂)【本尊】本尊阿彌陀如來。【堂宇】本堂、庫裏、客殿、門あり、境内二百二十八坪。(社寺明細帳)【墓碑】墓地には具足屋宗專を始め一門の墓碑がある。