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(一七)妙滿寺

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 妙滿寺取要山と號し、【位置】櫛屋町東四丁字花田口にあり、顯本法華宗妙滿寺末である。【開基】永正九年九月妙滿寺第十七世智覺院日誠の開創で、當時取要山照光寺と號した。【沿革】天文五年七月京都の法亂に際し、本山妙滿寺の化主避難して當寺に住し、爾來終に妙滿寺と稱するやうになつた。(明治三十五年寺院堤出書類)寬文五年登覺屋五平本堂其他を再興した。(社寺明細帳)寶永元年の記錄には堯本寂照の二子院の名が見えて居る。(堺商北寺院塔頭之諸出家印鑑帳)明治九年住職義俊書院を再建して舊觀に復した。大正五年九月車之町東四丁の法王寺を合併した。【本尊】本尊は題目寶塔、釋迦、多寶二佛、上行、無邊行、淨行、安立行の四菩薩、文殊、普賢の兩菩薩、四天王諸尊、宗祖日蓮、鬼子母善神、十羅刹女で、【堂宇】本堂、庫裏、書院、土藏、門あり、外に寶曆十三年建立の三光堂があつたが、明治三十六年三月之を毀却した。(社寺明細帳)【什寶】什寶に日蓮上人消息四軸、同板曼荼羅一面、日經上人消息一幅、同十界曼荼羅一幅、同本尊一幅、開山日誠上人筆本尊一幅等がある。