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(一)林昌寺

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 林昌寺天櫻山と號し、【位置】柳之町東二丁字寺町にあり、融通念佛宗大念佛寺末で、寺格三等。【開基】昌翁道林(天正十八年七月七日示寂)の創建に係り、【再建】本堂は寶曆三年八月谷善右衞門齊泉、庫裏は布屋次兵衞の再興である。(堺史料類纂)本尊阿彌陀如來は、聖德太子作と傳へられ、【本尊の靈驗】天正年中畫工小林七之丞金箔の粧飾比類なきを見、本尊を盜み皇子飢に至つて金箔を剥奪し、且其際手指を折損した。七之丞後罪科を悔ひ、滅罪生善を祈らんが爲に、剃髮して道林の徒弟となり、法名を智讚と稱し、來迎寺の中興となつた。(本尊緣起)【堂宇】本堂、庫裏、門を具へ、觀音堂は寶曆四年七月當寺第五世圓通利南の創建である。境内百六十九坪。(社寺明細帳)【墓碑】墓地には贈從五位田中次兵衞谷善右衞門善德、其長子善右衞門齊泉、谷忍齋、初代竹本春太夫及び三代竹本春太夫等の墓碑がある。