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(一二)法王寺址

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 【所在】法王寺は車之町東四丁にあつたが、大正五年櫛屋町東四丁の本寺妙滿寺へ合併せられた。(社寺明細帳)【元祿二年の狀態】元祿二年の堺大繪圖によると垣外町(今の車之町東三丁)に西面し、周圍東は人家を隔てゝ農人町筋、西は垣外町筋、南は櫛笥寺、北は西然寺に接した東側二十五間五(新間二十七間五五寸)西側二十四間五寸(新間二十六間五寸)南側二十六間四五寸(新間二十八間五五寸)北側十八間四五寸(新間二十間一五寸)を有してゐる。【舊址】此境域は現在西然寺南隣一帶の地域に當り、其西南端の一隅に今も猶東西六間、南北七間三の境域を占めたる墓地がある。今日寺址區域中には官公吏の舍宅等數戸の人家がある。合併當時の境内は五百九十七坪を有してゐた。(社寺明細帳)