【所在】大谷本願寺末の專妙寺はもと柳之町東二丁にあつたが、慶應二年正月廢寺となつた。(眞宗寺住職談)【元祿二年の狀態】當寺境内は元祿二年の堺大繪圖に柳大工町にあつて西面し、東は宗泉寺、西は柳大工町筋、南は道路、北は月藏寺に接した東西十七間一尺五分(新間十八間三尺五寸五分)南北九間一尺(新間九間五尺五寸)の境域を有し、内南側に借屋敷が四軒あつた。【舊址】此境域は現在の柳之町東二丁二十一番地藤本榮氏住宅を西南端、同丁六十六番地田中安松氏所有仕事場の西北端に當つてゐる。其東南、東北の兩端は元祿當時と變化なく、【墓地址】宗泉寺と境した所に排列井然たる墓地がある。