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(六)鹽風呂址

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 【所在】旭蓮社所屬の鹽風呂は大町字西六間筋東側にあつた。今は其裏側に當る大町三十三番地酒井包義氏住宅表側に舊址の標石を建てられてゐる。【元祿二年の狀態】元祿二年の堺大繪圖には大町の西六間筋に西面して旭蓮社祠堂掛屋敷と記し、所在町名を鹽風呂町としてゐる。當時其周圍東は大道に面した小島屋次郞兵衞及び布屋市兵衞の兩屋敷、西は鹽風呂町筋、南は小島屋次郞兵衞屋敷、北は會所に接し、延長表十二間(新間十三間)入南側表一間(新間一間五寸)及び北側表四間(新間四間二)は六間(新間六間三)他は十五間(新間十六間一五寸)であつた。此境域も明治以後一私人に賣却せられ、藥師如來は旭蓮社へ移され鹽風呂は遂に廢止せられた。【舊址】現今酒井包義氏の住宅の本屋と控屋との境界にある梯子下は當時の井址だと云はれてゐる。(酒井包義氏談)