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(一八)高三隆達屋敷址

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 【所在】高三隆達の屋敷町は宿屋町東一丁にあつたと推測される。隆達還俗後定住したのは高三氏の屋敷で(堺鑑)其位置は錢屋町にあつた。(高三系圖)錢屋町は後兩替町と改稱し、今の宿屋町字山口筋に當つてゐる。(高三系圖、元祿二年堺大繪圖)【兩替町の高三氏】兩替町の高三氏屋敷は、元祿二年堺大繪圖には本屋敷、掛屋敷の二箇所を記し、共に清兵衞の名義である。此兩屋敷の現在は本屋敷は宿屋町東一丁三番地田中信次郞氏住宅、掛屋敷は同丁一番地瓜阪藤四郞氏住宅となつてゐる。隆達の屋敷が其何れであるかは容易に決しないが、恐らく本屋敷ではなかつたらうか。