【所在】西宗眞の屋敷は宿屋町東二丁字大黑町北角にあつた。【ルイスの町】寶永四年堺町繪圖に今日の宿屋町東二丁は當る十間筋をルイスの町と記したのは、宗眞の教名ルイスの居住地に基いて生じた俗稱である。宗眞の屋敷は元和二年に地を堺に求め、翌三年より住したもので(西類子由緖書)元祿二年の堺大繪圖に記した子孫九郞兵衞屋敷に當るのである。同屋敷は宿屋町十間筋北角に西面し、表十五間(新間十六間一尺五寸)入十間(新間十間五尺)と記した。尤も此屋敷と脊中合にある大黑町の表十五間(新間十六間一尺五寸)入十三間(新間十四間五寸)を西すも掛屋敷と記してゐるのは九郞兵衞と同族で、其屋敷宗眞屋敷の一部ではなかつたらうか、殊に宗眞屋敷が大黑町にあつたと傳ふるのは(堺史料類纂)此類推を立證するものである。所謂十間筋及び大黑町は宿屋町東二丁字山口筋の東筋と更に其東筋とに當り、【舊址】其舊址は同丁七十四番屋敷材本清三郞氏住宅に當つてゐる。一説に宗眞屋敷の建物は南旅籠町大安寺の方丈となつたと云はれてゐる。(老圃歷史)