一万六〇〇〇年前ころから気候は次第に回復し温暖化へむかう。最寒冷期の間、山地は裸地状態が続きそこで生成された大量の岩屑が、河川により下流へどんどん運びこまれてきた。とくに豊平川が運ぶ砂礫は急流地帯を駆け下り、地形がゆるやかになるとそこここに砂礫を堆積させた。札幌扇状地の最終的な造形が、行われたのが一万六〇〇〇年前ころから八〇〇〇~九〇〇〇年前までのことである。
石狩海岸平野はどうだろう。二万年前の谷には、気候の温暖化にともなって海がひたひたと浸入し、堆積物をためながら次第に谷を埋めつくしていった。それは、海岸平野形成への確実な第一歩であった。その詳細な経過は第五章で述べるが、最終氷期末は、現在の地形景観形成にむけての最終的修形がなされた時期なのである。そして、そこには、すでに、旧石器時代の人びとが新しい春を待ちながら力強く生きていたのである。