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谷を埋めた堆積物

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 札幌市の北部も含まれる石狩海岸平野は、石狩湾岸から内陸にむかって、海浜―海岸砂丘(石狩砂丘)―砂堤列低地―内陸砂丘(紅葉山砂丘)―後背低湿地といった順に配列し、非常に特徴的な地形を呈している(第一章四節参照)。しかも、紅葉山砂丘を境に海岸側と内陸側とでは表層を構成する地質もまったく異なっている。このような特徴的な地形が形成されはじめたのは、せいぜい五〇〇〇年前ころからのことである。だが、この平野の基礎工事は、それをさかのぼること約一万年前、つまり、最終氷期の末、一万四〇〇〇~一万五〇〇〇年前からはじまるのである。
 最終氷期の最寒冷期、二万~一万八〇〇〇年くらい前は、すでに述べたように、海水面が約一〇〇メートルも下がり、石狩海岸平野は、当時の石狩川、豊平川、発寒川などに深く切り込まれた谷や河岸段丘、台地からなる複雑な地形を呈していた。こうした陸地へ、一万四〇〇〇~一万五〇〇〇年前から海が浸入し、土砂を溜めながら、地形の修形をはじめることになる。そんな過程を地下の堆積物から探ってみよう。
 石狩町花畔と分部越のボーリング・コアは、沖積海進の初期の様子を知る絶好の資料である。再度、第四章の図13を見ていただきたい。
 花畔(第二地点)の地質柱状図では、海面下六〇メートル付近の層準にある礫層が、海面が一〇〇メートル低下したときの河川堆積物である。その上位に、一、二枚の砂層をはさんだシルト層、薄い細粒軽石層、二枚の泥炭層をはさむ砂層、そして、その上位に黒色シルト~粘土層がみられる。これらの地層は西浜層とよばれ、シルト層から泥炭をはさむ砂層までが下部西浜層、黒色シルト~粘土層が上部西浜層とされている。いっぽう、分部越(第一地点)のコアでは、海面下三五メートル付近に、低海面期(一〇〇メートル低下時)の河岸段丘礫層があり、その上位に細粒軽石層と上部の黒色シルト層が堆積している。
 このような事実から、花畔地点の下部シルト層は晩氷期の海進によって当時の谷を埋めた堆積物と考えてよい。このシルト層の分布は充分には追跡されていないが、シルト層の堆積上面の高度から、谷が埋められた時期(おそらく一万二〇〇〇年前くらいか)の海水面は、少なくとも海面下三〇メートルくらいまで上昇してきたと推定できる。