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内湾の黒い泥

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 約一万年前を境に再び海の浸入がはじまる。花畔および分部越のコアにみられる海面下一八メートル~三五メートルまでの上部西浜層が、その海の堆積物なのである。分布は広く、まさに古石狩湾の存在を語るにふさわしい地層ともいえるのである。

図-1 上部西浜層前田砂層の貝化石化と14C年代

 この堆積物は下部が細砂とシルトの互層で、上部が黒色シルトないし粘土層である。上部の粘土層は非常に軟弱なうえ、硫化水素の臭をともなっており、まさに、古石狩湾の内湾底に、淀みながら堆積した状況を呈している。北区屯田にあるポンプ中継所の工事にともなう掘り込みでは、上部シルト層からシジミガイやマヌコダキガイなど汽水性の貝化石が発見されているが、東区丘珠の丘珠観測所や石狩海岸から約一七キロメートル内陸の江別市角山などのボーリング・コアからは、現在、北海道近海には生息しない暖流系のサルボウなど海生の貝化石がみつかっている。このように、産出する貝化石の生態的なちがいは、古石狩湾の状況を語ってくれるものである。つまり、当時の古石狩湾は、現在の石狩川の流路に沿って、江別市街地付近まで湾入しており、その付近までは外洋の海水が充分に流入できた。しかし、屯田付近は陸域が近く、古発寒川あるいは古豊平川からの淡水が流入し、汽水的環境を形成していたのではないかと考えられるのである。
 上部西浜層の堆積時期は、各所の14C年代値から、完新世の初頭約九〇〇〇年前~七〇〇〇年前であると考えられる。