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北大式土器

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 続縄文時代最後の土器は、札幌市の北海道大学構内から出た土器をもとに北大式土器とよばれている。北大式土器の古い段階は、深鉢、注口、片口などの器形で、深鉢の口縁には刺突文がつけられ、その下に鋸歯状の文様が区画されたなかを縄目の文様でうめる(写真18)。北大式土器の新しい段階では、縄目の文様はうしなわれ、沈線だけの文様となり、しばしば土師器の坏などを伴う。

写真-18 北大式土器(石狩町ワッカオイ遺跡)

 後北式文化には、まだ多く使われていた石器も北大式の段階になると黒曜石製の特徴的なスクレイパーが使われる程度となる。これは鉄器の供給が多くなったことと関連があるのであろう。
 ところで、北大式土器の特徴の一つに、口縁に直径四~五ミリの細い棒で土器の表面をつき、円い孔の文様をつける手法がある。この手法の系統は、続縄文文化の終末に樺太から南下してきた文化―鈴谷式、それに続く十和田式土器という樺太系の北方文化からの影響によるものなのである。
 このような北大式土器は、道内のみならず東北地方に及び、とりわけ宮城県北半まで広く分布するが、あまり長くは続かなかったようである。