早期の竪穴住居跡は、北海道において現在三〇遺跡、およそ一六〇軒程発見精査されている。縄文時代早期の貝殻文・沈線文を特徴とする平底土器群を伴う竪穴住居跡は、道東北部において多く発見調査されており、かなり実態が明らかとなっている。これによれば、直径五・六メートル程の規模で、円形、楕円形、隅丸多角形のプランを呈し、床面中央に焼土の堆積の認められる物(いわゆる地床炉)が多く、中には石囲い炉をもつ例もいくつか報告されている。柱穴も壁沿いに数本めぐる例がおおい。
羅臼町トビニウス川南岸遺跡では、一五軒の竪穴住居跡が確認されており、内六軒の竪穴住居跡が発掘調査されている。浦幌町平和遺跡でも一三軒の大型の竪穴住居跡が発掘されている。道央付近では静内町駒場七遺跡において二七軒の当該時期の竪穴住居跡が発掘されている。
これらより見れば、確実にかなりの規模の集落を構成していたことは明らかである。札幌市内にはこうした集落跡は発見されていない。遺跡の規模がかなり小規模なことの要因は、立地の条件の違い、遺跡の性格の違いがあるものと考えられる。
札幌市内においては、S二五六遺跡で早期の後半期に位置する微隆起線文を特徴とする土器群を伴出する竪穴住居跡が三軒発見されている。この遺跡は野幌丘陵上にあり厚別川の支流、三里川及び名無川によって解析された台地に立地している。竪穴住居跡は三軒、標高四七メートルのラインを中心としてかたまってあり、その広がりは二〇〇平方メートルにみたないきわめて狭い範囲に限定される。
図-1 縄文早期後半期の集落(S256遺跡)
図-2 縄文早期の竪穴住居跡(S256遺跡)