S二六五遺跡では、一六個の土壙が検出されているが、この中で時期がある程度確定できるものは縄文中期と晩期の例で、縄文中期と考えられるものには第一、八、一三号ピットがある。第一号ピット(図10)は、壙口部の大きさは一六四×一五二センチで、平面形はほぼ円形を呈し、掘り込み面からの深さは五〇センチあるもので、壁際から立った状態でサイベ沢Ⅵ式の半完形土器が一個体出土している。また、壙底面のE層から水洗抽出した木炭の14C年代は、三六六〇±一四〇年前(GaK―六五九五)と出ている。本例は、半完形土器が副葬品の可能性が高いところから、人骨の痕跡は検出できなかったが土壙墓であろうと考えられる。
図-10 縄文中期の土壙(S265遺跡)
一方、第八、一三号ピットは、やや大型の土壙で、覆土中より縄文中期後半の土器とともに数多くの黒曜石製の剝片や削片(チップ)が出土し、石器製作跡あるいは石片の廃棄場所とも考えられる。なお、第八号ピットの壙央部(第Ⅱ層)検出の木炭の14C年代は、三七三〇±二七〇年前(GaK―六五九六)と測定されている。
T四六四遺跡からは、三個のピットがみつかっているが、この内第一号ピットは壙口部の大きさが二〇六×一五四センチをはかる不整楕円形の土壙で、やはり壙内から黒曜石の削片が多数出土した。
N三〇九遺跡では、六二個の土壙が検出されている。本遺跡からは、縄文中期の土器しかみつかっていないところから、これらはいずれもこの時期の所産と考えられるが、壙内からまとまって完形ないし半完形の土器が出土した例は、第一、三、四、一三、三四、五四号の六個のピットしかない。土器は、いずれもサイベ沢Ⅵ、Ⅶ式土器である。