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地図の作成と実地検考

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 『蝦夷志料』編纂に際して、さらに重要で注目されることは、地図の作成がなされたことである。これが「蝦夷全図」となるが、安政三年(一八五六)二月に、「蝦夷地図取立実地撿考」が命じられた。これは前年十二月に出された、「前田健助門人、蝦夷地え差遣候儀奉伺候書付」(幕末外国関係文書)をうけたものである。「書付」には、命をうけた「蝦夷地御用録調」は草稿もできつつあるが、「文化以前之国図、麁漏(そろう)多、検考不致候ては御用立兼候之趣」により、今度新たに門人を派遣し、「土地実検之上、海岸通地理山川林野之険易広狭等」、地名などを取り調べたい旨願い出ていた。これが許されて安政三年一月に、目賀田帯刀(新御番、松平弾正組)、榊原銈蔵(御書院番、津田美濃守与力)、市川十郎(松平右京亮家来)、以上の三人の派遣が上申された。このうち榊原銈蔵は、翌年に脇屋省輔と交替し、調査は安政三年より五年まで三カ年にわたりおこなわれた。