この調査で鳥居はイシカリをどのように見たのだろうか。『蝦夷紀行』からその留意点をひろうと、なによりもイシカリ川の大きさに驚いた様子がうかがえる。後にテシオ川に行ってその水源についてふれ、イシカリ川を思いおこしているから、よほど印象深かったようだ。鮭漁にも注目しているが、出産物を蝦夷地と本州との交易品としてとらえているのが彼の着眼の特色である。なお、シップの魚見櫓を説明して、秋にこの櫓から鮭のおよぎよるのを見て、漁師を指揮するというのはおもしろい。
イシカリの平原を望み〝遠山雲霞の如し〟と書いているが、ハママシケでのように農業開墾の感想はない。ただ帰路ユウフツの記事には「或曰、従由宇布津(ユウフツ)西至伊志加里(イシカリ)、地勢坦衍、若墾以為田、則可得一百余万石云」との伝聞を書き、自分の調査をふりかえって、海浜でも麦や稗は成熟するだろうに開墾されていないと残念がっているから、イシカリにおいてもこうした感想は持ったことだろう。