義勇は弘化四年に帰藩し、弘道館目付、藩主の外小姓、江戸屋敷大広間詰めを経て、安政三年(一八五六)九月に蝦夷地の調査を命じられる。義勇は九月四日に佐賀を出立し、さらに十二月七日に江戸から蝦夷地へと向かい、翌四年十二月八日に江戸に戻った。この間の彼の動向は、以下の諸日記に詳しい。
(一)旅日記 安政三年九月四日佐賀~十二月八日江戸
(二)「奥羽幷函館松前日記」二月十四日三戸~五月二十八日箱館
(三)「入北記」〔雲の巻〕─不明 〔行の巻〕─六月二十九日カラフト・トンナイ~八月四日モンベツ
〔雨の巻〕─八月五日モンベツ~八月二十八日ヒロヲ〔施の巻〕─八月二十九日ヒロヲ~九月二十七日箱館
(四)「函嶴日記幷東洋記」 十月箱館~十二月八日江戸
(一)は蝦夷地調査の命をうけ、九月四日に佐賀を立ち、十一月十九日に江戸に着き、十二月七日に蝦夷地へ向けて出発するまでの日記である。「島義勇旅日記」と題し、佐賀県立図書館に所蔵されている。この後の経過に関しては、仙台より犬塚与七郎と連名で認(したた)めた、田中善右衛門・礼太郎あての安政四年一月七日付の書簡中で述べられている(佐賀幕末関係文書調査報告書)。
(二)は江戸出発後の三戸(青森県)よりはじまり、箱館に三月六日に着いた後、福山(松前)・江差を巡覧し、再び箱館に戻った五月二十八日で終わっている。(二)は、『佐賀歴史研究会準備会報』第一号に活字化されている。なお、(二)の期間中で四月四日木古内より十日江差までの旅行記が「内々之筋より到来の書付」と題し、佐賀県立図書館に残されている。