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在住制の達

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 以上のような経過をふまえ、安政二年十月十四日付老中から大目付・目付あての達という形式で在住制に関する骨子が達せられたが、その本文は次のとおりであった。
右は今般蝦夷地一体上知被仰出候ニ付、御旗本御家人之内、風寒暑湿を不厭、山野を跋渉し、筋骸を固メ、文武修練心掛候者共相願候得は、元身分ニ応し、在住被仰付候間、名前早々取調可申聞候、且万石以上以下之家来、主人見込之者も有之候ハヽ、申立次第是又被差遣候間、書面之者共、何レも荒地開発野馬牛牧養を始として、食料薬用に可充生類育方、金銀銅鉄鉛山間掘、巨材薪柴伐出、草木類植附、石炭掘取、器具製作、採薬、鯨猟、何に不依、生産ニ相成候類、幷湊附等之場所え、休泊所茶店取建度存候者ハ、任望被差遣候、尤其品ニ応し、御手当をも可被下候、猶又御国益ニも相成、格別出精之廉顕レ候者は、篤と事実相糺、士人は身分御取立、農工商之輩は地所家宅等相渡、其上御賞賜手当等も有之候条、右之趣相心得、有志之者は、其筋迄可願出候、猶委細之儀は、箱館奉行え可承合候、
右之通被仰出候間、末々迄不洩様可被相触候、
(幕末外国関係文書)

 さらに箱館奉行へはこれについて「巨細の儀は、都テ御委任被成候条、蝦夷地御開拓行届候様可被相心得候」(蝦夷地御用留 道文一〇八一)と達せられ、在住制などによる蝦夷地開拓の実務は、箱館奉行に委任されることになった。
 なお、箱館奉行はすでに同年四月、在住手当と共に在住に関する達案を次のとおり伺っており、在住の募集については、この文面で達せられたものと思われる。
在住之者御達案
 蝦夷地掛り
   [大目付小目付] え
五百石以下
御目見以上以下
同惣領次男三男厄介
清水附軽きもの
陪臣 浪人
右は今般蝦夷地惣体上地被仰出候ニ付、有志之もの相願候は元身分ニ応シ在住被仰付候間、名前取調可申聞候。且陪臣浪人ニテも格別見込有之ものハ被差遣御手当等も被下候間、委細箱館奉行エ可談候。
右之通万石以上以下エ可被相達候。

(木村家文書 御用留 巻之一)


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写真-1 在住之者御達案