ビューア該当ページ

道路・橋梁その他の築工

936 ~ 938 / 1039ページ
 慶応二年に施行した道路工事は、「道普請入用」として人足五六人分、その費用銭九五貫二〇〇文の支出を見るが、経路・距離などの内容は不明である。橋梁関係としては、「橋木・橋板」の伐出や製材に木挽人足六人の銭一三貫六三八文、「橋掛」に人足七人、銭一一貫九〇〇文があり、ここに橋梁関係工事には人足一三人の銭二五貫五三八文を要している。
 その外「埋樋」工事が実施され、樋の材料(長さ五間・幅五尺)の製材に木挽人足三人、それに埋伏人足三人をもって計銭一一貫九一九文、また「開墾地所分見之節縄張其外ニ相用候事」と記されている測量事業が、人足二八人、銭四七貫六〇〇文をもって実施されている。なお「川船不通ニ付古川さらへ之事」とする人足三六人、その費用銭六一貫二〇〇文も支出されているが、これを河川の交通用としてこの項に便宜上組み入れておく。以上、慶応二年における道路・橋梁その他工事が、人足延一三九人、工費銭二四一貫四五七文をもって施行された。
 慶応三年の諸工事をみると、まず道路として「新道普請二一一八間」の工事を成している。これは「下場所ユフスツ越へ道境より御手作場新道中普請」と注記があり、すでに完成をみていた内陸幹線路の一つであるゼニバコより東蝦夷地ユウフツに至る道路に、イシカリ御手作場を結合させた新道である。その普請距離が二一一八間(約三・八五一キロメートル)で、「道筋大木切払い」に人足三五人、「道筋二ケ所橋掛」に人足八人、「土形或ハ地平均掛」に人足一七六人、計人足二一九人をもって全工費銭三七二貫三〇〇文を要した。
 そのほかの工事として、「掛樋二ツ」(長さ二間半・幅一尺)に銭一二貫八五〇文、それに河川交通のため「古川通船之為メ川さらへ」が人足九三人、費用銭一五八貫一〇〇文がみられる。以上、慶応三年の道路その他の工事が、人足延三一二人、工費銭五四三貫二五〇文をもって施行された。
 慶応四年(明治元年)には、「堀筋道筋欠崩候処手直しニ相掛申候事」として人足二八人、費用銭四七貫六〇〇文が計上されているが、堀と道路との内訳が不明のため、便宜上この項に含めておく。この年のこの項の工事は上記の一件のみである。
 以上をもって慶応二・三・四年の道路・橋梁その他の築工は、人足延四七九人、工費銭八三二貫三〇七文であった。