開拓使は五年一月、北海道移輸出入物資の金融を主とする資金の貸付会所を東京・大阪・函館に設けた。三井三郎右衛門を主管とし、島田八郎左衛門(島田組)、小野善介(小野組)、榎本六兵衛、林富右衛門、田中次郎左衛門など六人及び函館の富商三人に同会所用達を命じた。相当の抵当物を提供して出願するものには、だれにでも資金を貸付けた。開拓使は年七朱~八朱の利を徴し、その余は用達など社中の収益とし、また損失あるときは用達の弁償ということにした。五年一月から六月までに、東京貸付会所用達には七八万円、大阪の会所の用達には二三万円、函館会所の用達には一〇万円、その他家屋建築、産業資本等あわせて一一九万六〇〇〇円余を貸付けた。