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社殿等の建築と官幣小社への昇格

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 同社社殿の建築は結局は仮宮ということになり、明治四年九月に九・二五坪のものが完成、十四日に正遷座式を行った。ついで翌五年一月二十五日には官幣小社に列せられた。同年に改めて開拓使から造営について正院へ伺い出たが、「当今公費御多端之折柄ニ付当分見合セ、開拓使定額金之内ヲ以相当之造営可為」(開拓使公文録 道文五七三五)旨達せられ、結局仮宮の時期が長く続くこととなった。ただし若干の整備はされ、六年八月現在では仮宮のほか幣殿、拝殿、鳥居、神饌殿、直会所兼溜所、漱水所、さらに番人小屋等が設けられ、境内地は三万六五〇〇坪となっている(諸記録 北海道神宮)が、拝殿も正規なものではなかったらしく、本建築は十一年である。その後も幄舎、玉垣門ほかそれなりの整備はなされていき、十四年には社殿の造営願も提出された。

写真-1 札幌神社図(明治15年、北海道志より)