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日本宣教の気運

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 日本本土へのキリスト教の宣教は、欧米諸教派の中国・琉球宣教のなかで準備されていた。わが国と欧米諸国との修好通商条約による、安政六年(一八五九)の貿易開港は、キリスト教諸教派・伝道協会(ミッション)にとっていよいよこれを実行に移す好機の到来と受け止められ、宣教師の派遣が開始された。
 諸教派のうち、まずカトリック教会は、パリ外国宣教会によってキリシタン時代以来の再布教に着手した。派遣された一人、メルメ・デ・カションは函館を任地としたが、北海道で布教活動をした最初のカトリック宣教師となった。ペテルブルグに本拠を持つロシア正教会(ハリストス正教会)は、文久元年(一八六一)に来日した在函ロシア領事館付司祭のニコライ(のちの日本大主教)に日本宣教を託した。ニコライは、函館を基点として旧仙台藩領など東北地方に教線を伸ばした。イギリス国教会は、一七九九年に設立された伝道協会(CMS)などによって東漸し、ついには宣教師を函館に派遣することとなった。その他のプロテスタント諸教派の宣教師派遣は、主としてアメリカの教派・伝道協会によって行われた。