原野排水の代表が現在の新川の開削である。この排水工事は札幌北部の原野排水の一環として行われたもので、二十年「小樽内川ヨリ琴似川ニ至ル」三四三五間(約六・一キロメートル)の工事として開始され、翌年八月に竣工した。二十一年度分の『事業功程報告』をみると、二十一年度の花畔、軽川辺の排水溝を小樽内排水渠へ注ぐように開削したと記しているから、開削した直後は小樽内排水渠と呼ばれていたようである。また前述の札幌・銭函間運河開削計画の新聞記事によると、軽川大排水とも呼んでいる。それまで札幌西部の山に発する琴似川、発寒川などは札幌北部の原野を縦断して石狩川に通じており、その地域を場合によっては湿地化させていた。この排水工事は、それらの河川を新川一本にまとめて石狩湾へ流し、原野の乾燥化を促した。しかし簡単に乾燥化せず、その後も春の融雪期の溢水期には一面沼のようになり、何日も水が引かなかったという話が新琴似屯田や篠路屯田の入植者の昔話に残されている。その後の排水路支線の整備や泥炭地改良の進歩により、乾燥化し、農地として利用できるようになったのである。
この頃に開削された排水路は、多くがまだその跡を見ることができる。しかし近年の宅地開発の波が札幌郊外まで広がったため、その形状が順次変更されたり埋め立てられたりしている。