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日本銀行札幌出張所の設置

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 三井銀行は二十三年から公金取扱に依存する支店、出張所の閉鎖を政策目標の一つにしていたが、これは将来努力すべき指針の域を出なかった。三井組の中上川彦次郎は、官金取扱を自ら辞退することでその方針の徹底を計ったが、たまたま二十六年二月、日本銀行の札幌進出に際し、三井銀行は札幌出張所の店舗並びに業務を日本銀行札幌出張所に譲って札幌を撤退した。
 こうして官金出納の主軸が日本銀行に移り、同行は国庫金の保管、官金出納、諸公債の事務のほか為替事務も取扱うこととなり、同行店舗は拡充され、二十八年七月には函館出張所を廃して函館北海道支店に昇格させている。同行が出張所を支店に昇格させたのには、日清戦争前後本道の商品輸出入の中心がまだ函館にあったことによっている。
 三十年十一月には日本銀行小樽派出所が出張所に昇格し、三十二年十月から札幌出張所が当座勘定取引を開始した。なおこれより先、日本銀行は商業手形の使用を奨励している。当時商家でははじめ手形を振り出すのは自家に貯えのないことを示すものと考えられ、慣行になっていなかった。しかし銀行側では、取引のある商家の持つ商業手形を割引くことによって金利をかせぐことを意図した。一方手形受取の商家は、二カ月あるいは三カ月先に受取になる現金が金利は差引かれるもののすぐ現金化されることから、漸次手形取引が行われるようになってきた。