札幌の玉ねぎの起源は古く開拓使時代にあるが、それを札幌村に定着させたのは十五年に信濃国諏訪郡から移住してきたという武居総蔵が、十六年から栽培方法を研究したことによるという(殖民公報 九号)。前述の石川の報告にある札幌村の蔬菜とは、おそらく玉ねぎが主であるといってよいだろう。その後札幌付近の玉ねぎ栽培は二十四、五年頃より作付面積が増えはじめ、日清戦争以降需要が増大し、価格も騰貴して作付が増加し、移輸出品となった。発展の要因は、札幌村辺が土壌・気候とも適していたこと、札幌区という廉価な肥料の供給地があったこと、さらに労働力供給地である都市札幌の近郊にあったことが労働集約的な農業に適していたことなどのようである。