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官幣中社への昇格

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 前編七章で述べたように、札幌神社は明治五年(一八七二)に官幣小社となって以来、度重なる昇格運動にもかかわらず、昇格は実現しなかった。道庁がおかれて以来再び昇格運動がおこったが、本格化したのは明治二十五年二月頃であったと思われる(願伺届留三 北海道神宮)。これに関し『北海道毎日新聞』は、札幌神社を「官幣大(ママ)社となさんとの議東京なる某筋に起り」(二十五年二月二十日付)、白野宮司が上京、近々発表されるはずと報じており、かなり協議の進んでいることをうかがわせる。翌二十六年九月二十五日付で、道庁長官から内務大臣あて中社昇格の上申書が提出され、さらに十一月には宮司よりの「社格等昇格願書」が提出された。
 同願書は、本文のほか、「札幌神社社格等願ノ理由」が添付され、七項の理由が述べられている。ごく簡単に要約すると、まず北海道の開拓は、開拓守護のため鎮座した本神社祭神の神徳によるところが大きいとし、開拓に功ある者は酬われているのに、本社は「二十余年未タ社格一階ノ報答ヲ得ズ(中略)神勲ニ報答シ、社格昇進ヲ奉願セスンハアラス」(北海道神宮)とした上で、今後の開拓守護、道内神社に占める札幌神社の位置、保存金その他の諸問題を挙げて論じている。そして十一月二十七日付をもって官幣中社に昇格した。