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各宗派連合活動への動き

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 このように仏教各宗派、各寺院はそれぞれの普及活動を行ったが、これと同時にこの時期各寺院協同の仏教普及啓蒙活動というべき動きが活発化し、やがて明治三十二年の仏教各宗連合会結成へ至ることとなる。この間の動向はまだ必ずしもすべてが明らかとはなっていないが、概略を次に記述する。
 まず僧侶を主体とした仏教演説会は、すでに二十年の新聞でいくつかみられる。この時期よく登場したのは児谷玉鳳(真言宗)、朝日正道(真宗本願寺派)、龍山智(雷雲、同)、加藤恵証(同)などで、二十三年頃から高野日極(日蓮宗本成寺派)なども加わった。演説の内容は、たとえば二十一年六月二日の演説会について「例の耶蘇教抗撃論なれば」(北海道毎日新聞 六月五日付)とあり、また、北海禁酒会機関誌『護国之楯』攻撃、二十四年には尊皇奉仏耶蘇攻撃演説、三十一年には「内地雑居に対する国民の心得」などがあって、仏教思想等の普及と相まって、キリスト教攻撃が一つの柱として存在したことはまず疑いのないところである。